陶器のブランド

陶器の魅力

陶器の魅力とはなんなのでしょうか?
例えば、土ものの陶器であれば、やわらかい土の風合い、作家や職人の個性などが出やすいのではないでしょうか。
しかしその反面、性質上、水分や油分、匂いなどを吸水吸着しやすいというところもあります。
やきものには、種類でわけるとすると磁器もありますが、その磁器に比べもろく、使う前に水にひたすなど、手入れも必要となってきます。
また一点ものが多くやや高価でもありますね。ちなみに食洗機は使えないことの方が多いです。
全体として、端正という性質のものではありません。
形が端正であったとしても、火表と火裏で僅かながら歪みがあることもあります。
土肌はザラザラしていて、自然釉は炎の流れに沿って掛かり、色も厚みも変化が多いです。
場合によってはヘラ目もあり、個々として観ると端正である所は少ないです。けれど全体として見たとき、うまく調和を得ています。
また磁器ですが、硬くて、薄いものを作ることができます。白い地色が美しいですよね。
水分の吸水吸着はほとんどありません。お手入れも樂なので、日常使いに便利なのではないでしょうか。
また量販されているため、比較的入手しやすいのもいいですね。
磁器は通常陶器より高い温度で焼かれる事が多いです。そのため、陶器より硬く焼き締まります。
その結果、破損しにくい品ができるわけというわけです。
一般的にはこれらは「陶磁器」と総称されますが、全体をまとめて「陶器」と呼ばれる場合もあります。

・陶器専門店 陶器堂(https://www.toukidou.com/) 

陶器の歴史

陶器の歴史

陶器の歴史についてですが、世界四大文明発祥地からでなく、九州佐世保市の泉福寺の洞穴から最古の土器が出土しているんです。
炭素14年代測定法で約一万八百年前と測定され、縄文式土器は土器発祥以来を縄文時代といわれていますから、縄文時代は一万年以上も続き、紀元前三百年まで 続いたということになります。
縄文式土器と弥生式土器は技術的には変わってないといわれています。大きな違いは形と作風が変わっていること、すなわち左右均等のとれた統一感の造形です。
ちなみに弥生土器は、東京大学構内の弥生町で出土、町名にちなんで弥生式土器と名付けられたのだそうです。
須恵器は紀元前4000年頃に発達した中国の流れを汲み、5世紀に朝鮮半島の新羅(しらぎ)・百済(くだら)を経由して日本に入ってきました。
半地上式の穴窯で、高温で焼かれた完全な陶器です。また弥生式土器につづくのは土師器(はじき)です。
元来、歴史的に見ると日本の陶磁器に関する技術は中国に対し2000年、朝鮮に対し1000年の遅れがありましたが、高火度の釉薬がかかった焼き物は最古の物で平安時代からとなります。
日本は中国、朝鮮の二国の影響を大きく受けて発達したものの、そのまま写したのではなく、日本独自の作風の道を進んできたのです。
有名な備前焼は、わが国の六古窯の中でも最も古い焼き物で、平安末期頃から始まり、備前焼の特徴が生まれることとなります。
そして桃山時代になり、世の中も落ち着き芸術が開花しました。
武将として信長、秀吉、茶人として利休、織部、画家に狩野派、その他僧侶や文人、歌人が活躍した時代に数多くのやきものが作られ、それも日本各地で独自の陶器が作られ発達していました。
この時代の力強く、侘寂をふまえた焼き物は日本の名器を多く生み、後世に大きな影響を与えることとなります。
江戸時代徳川の権力も安泰し、この時代あらゆる文化が繁栄しました。
この時代になると陶工達は技術も習得し青磁、白磁、染め付け、赤絵も作れるようになってきました。
柿右衛門、鍋島、九谷など日本独自の美しい色絵磁器も生まれ、 日本の焼き物は多彩的になり技術的に確立した時期といえるのです。
現在、ヨーロッパではドイツのマイセンが有名ですが、マイセンはこの時代の有田焼を中心に日本から輸入して、洋食器として取り入れて発達したものなんだそうです。
稼ぎ頭だった擂り鉢も信楽焼や丹波焼の擂り鉢に押されるようになってきました。
江戸末期の時代に備前焼の擂り鉢と思われていた物が、大阪や京都、特に大阪の堺で 備前焼の模倣に成功して、似せて作られたいたことが昭和の窯跡発掘でわかっています。
当時の備前としては大変な痛手だったのではないかと考えられます。
その後つづいた苦難の時代を乗り越えて、桃山茶陶の再現を目指した「中興の祖」金重陶陽(昭和31年に人間国宝に認定。明治29.1.3~昭和42.11.26)の努力によって備前焼が再評価される様になり、今日の備前の繁栄を得たといわれています。





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